Lesson 1-3 スパイスの歴史③中世時代とスパイスロード

シルクロードで結ばれたスパイス交易

ユーラシア大陸の交易に欠かせない存在であったシルクロードは、スパイス貿易にとっても重要な道でした。その為、別名を「スパイスロード(香料の道)」と呼ばれることもありました。

 

中世のスパイスが金ほどの価値があった理由

スパイスロードの道程はとても長く苦しいものでした。砂漠や険しい崖や山を越え、盗賊の襲撃を恐れながらの旅は、片道に2年もかかるほど過酷な旅だったのです。

そのために、スパイス類がヨーロッパに到着した頃には、価格は原価の1000倍、2000倍に跳ね上がり、金銀と同じ、またはそれ以上の価値とされていたという話もあります。

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謎に包まれたスパイス原産地

当時、ヨーロッパ人が遠い異国の熱帯のスパイスを手に入れるためには、アラビア人の仲介人が必要でした。アフリカから東アジアまで続くシルクロードという長い道のりの中継点でもあったアラブの地域は、ヨーロッパに渡るすべてのスパイスが集まったため、紀元前後から中世頃までスパイス貿易を独占していました。

アラブ商人たちは、この莫大な富を生むスパイス貿易を他の人々に渡すまいとして、客に決して原産地を明かさず、秘密を守り抜こうとしたのです。

「スパイスの木は歩く」

「向うからやってくるまで採取できない」

「スパイスの木を守る恐ろしい怪物がいる」

「人間がとても行けない高い山の上にスパイスの木はあって、鳥がシナモンを集めている。山の麓に動物の死骸を置いておくと、それを鳥が巣に運び、その重みでシナモンの木が折れて、崖の下に落ちてくる」

などと嘘を並べ続けましたので、アラブ人以外の人々はその作り話を怪しみながらも、本当の事はわからずじまいでした。

後の冒険者たちが未知なるスパイスの原産地探しに出かけて行った際にも、このアラブ人の話す原産地のイメージは多分に影響したようです。

 

ヨーロッパの400年のスパイス断絶時代

アラブ人が陸路でのスパイスロードについて秘密を貫き、莫大な利益をすべて握っていた事は、長い間ヨーロッパ人の不満の種でもありました。

また、この地域の支配者は、7世紀に発生したイスラムの勢力拡大に伴い頻繁に変わり、8世紀に入るとイスラム教のアラブとキリスト教のヨーロッパの交流は途絶えてしまい、その後400年もの間、アジアのスパイスはヨーロッパにはほとんど届かなくなってしまいました

ほんの少し届いたわずかなスパイスは、王族などの特権階級のみが手にすることが出来ました。このことが、スパイスの価値をさらにつり上げる要因となります。

 

■Lesson1-3 まとめ■

  • ユーラシア大陸の交易に欠かせない存在であったシルクロードは、スパイス貿易にとっても重要な道でありスパイスロードとも呼ばれた。
  • スパイスロードは過酷な長旅のため、スパイス類がヨーロッパに到着した頃には、価格は原価の1000倍、2000倍に跳ね上がり、金銀と同じ、またはそれ以上の価値となった。
  • スパイス貿易にはアラブ地方が中継地点となり、アラブ商人が独占していた。原産国の秘密を守るため様々なエピソードが創り上げられ、その後のスパイスのイメージにも影響を与えることとなる。