十字軍の遠征
11世紀に入り、十字軍の影響から、東西の交流が再開されるようになりました。実はこの遠征は、キリスト教布教の為だけでなく、スパイスをイスラム教徒からキリスト教徒の手に奪い返す、もしくは直接手に入れるという別の大きな目的があったとも言われています。
この頃も、スパイスは大変高価な物でした。このような中で、ヨーロッパ人は「自分たちの手でスパイスを入手したい」という思いが強まっていたのです。
学生時代に習った歴史のなかで、「マルコ・ポーロ」と「東方見聞録」という単語だけは、記憶の片隅に残っているという方は少なくないでしょう。これがまさにこの時代です。
マルコポーロの1299年「東方見聞録」の中で、スパイスをふんだんに使う中国や、黄金で出来た宮殿のあるジパング(日本)が紹介された事も、ヨーロッパの人々が遠いアジアを夢見る心に火をつけるきっかけとなりました。
イタリア都市国家を中心とするスパイス交易
この頃のスパイス市場は、十字軍の食糧供給地でもあったイタリアのヴェニスやジェノバが中心で、近東の貿易権が独占されていました。
イタリアのヴェニス(ヴェネツィア)は、アジアから進入してくるフン族のアッティラ大王の襲撃から逃れたローマ帝国市民が、船の進入の大変困難な場所であるアドリア海の岩礁に移り住み、開拓した場所です。沼地に石を積み上げ地盤を作り、家を建てました。
優雅なゴンドラが有名なヴェニスの運河ですが、人々の大変な努力の末に成り立った海の上の都市なのです。
当時の権力者である西ローマ帝国のカール大帝は、810年にヴェニスを攻撃しますが、艦隊は浅瀬で座礁し、進入する事が出来ません。
そこでカール大帝は、ヴェニスを西ローマ帝国内にありながら、東ローマ帝国の領土としたので、結果的にヴェニスは宗教、政治、経済的に独立した治外法権の孤島となりました。
平和的な宗教の共存と交易で栄えたヴェニス
ヴェニスでは、イスラム商人やユダヤ商人、カトリックではなくプロテスタントのドイツ人学生、またはギリシャ正教徒の船乗りなど、多様な宗派の人々が、平和的に共存していました。
また、ヴェニス人は交易に力を注ぎます。ヨーロッパのウール、布地、鉄、木材などと、東洋のナツメヤシ、イチジク、レモンやアーモンドと共に、スパイス(ナツメグ、メース、シナモン、クローブ、カルダモン)などが交換されていました。
スパイスがイタリアを出発し、ヨーロッパ各国の消費地に届くまでには沢山の人の手を介すため、値段も吊り上がっていきました。ルネサンス時代の政治家、銀行家として有名な、イタリアのメディチ家の人々は、スパイス貿易で得た莫大な富をもとに多くの芸術家のパトロンとなり、後のルネッサンス文化を後押ししたのです。
■Lesson1-4 まとめ■
- 11世紀の十字軍遠征は、キリスト教布教の為だけでなく、スパイスをイスラム教徒からキリスト教徒の手に奪い返す、もしくは直接手に入れるという別の大きな目的があったとも言われている。
- マルコポーロの「東方見聞録」の中で紹介された、スパイスをふんだんに使うアジア諸国の記述も、ヨーロッパの人々が遠いアジアを夢見るきっかけとなった。
- 十字軍遠征のころのスパイス市場はイタリアのヴェニスやジェノバが中心であった。
- ヴェニス人は交易に力を注ぎ、ヨーロッパのウール、布地、鉄、木材などと、東洋のナツメヤシ、イチジク、レモンやアーモンドと共に、スパイス(ナツメグ、メース、シナモン、クローブ、カルダモン)などが交換されていた。
- ルネサンス時代の政治家、銀行家として有名なイタリアのメディチ家の人々は、スパイス貿易で得た莫大な富をもとに多くの芸術家のパトロンとなり、後のルネッサンス文化を後押しした。