Lesson 1-6 スパイスの歴史⑥ヨーロッパ列強の熾烈なスパイス略奪戦争

近世のスパイス貿易

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ポルトガルのアジア進出

スパイス貿易の勢いに乗ったポルトガルはアラビア商人を押さえ、インドのゴアとセイロン島での貿易権を獲得します。そして奴隷を使い、シナモンの森を次々と開拓します。

特に、マラベル地方(インド)の胡椒、モルッカ諸島(インドネシア)のクローブ、バンダ(インドネシア)のナツメグなどの、産地が限られているスパイスの所有権をめぐり列強の熾烈な争いとなりました。

 

東インド会社設立

ポルトガルの次にはスペインが東南アジアに進出し、植民地支配を拡大していきます。

17世紀に入ると、勢力を増したオランダが、オランダ東インド会社を設立し東南アジアからポルトガルを追い出しました。

この時、オランダは、バンダ諸島のナツメグを得る為に島民を大虐殺し島を占領しました。また、決まった島以外でのナツメグやクローブの栽培を禁止するため、林を根こそぎ破壊したり、ヨーロッパでの値崩れを防ぐためにアムステルダムの路上では大量のスパイスが焼却処分となりました。

ナツメグ・メースの実

ナツメグ・メースの実

17世紀後半になると幾度の英蘭戦争により国力を消耗したオランダは、イギリスの海運貿易への進出を許す形になります。

イギリスもオランダに先駆けて東インド会社を設立していましたが、オランダと比べてその勢力は圧倒的に小さく、それでもイギリス商人はインドネシアのクローブを60年間本国に送り続けていましたが、1682年とうとうインドネシア海域を追い出されてしまいます。

クローブ

クローブ

またこの頃、インド洋でイギリス東インド会社の船を狙う海賊が出現するようになりましたが、この海賊たちはイギリスによって通商を奪われたアラブ商人たちで構成されていました。

 

スパイス苗の移植に成功

しかし、1770年頃、フランス人の植物学者、ピエール・ポワーブルモルッカ諸島から盗み出したクローブの苗をモーリシャス島に植えた所、栽培に成功します。この後、熱帯地方のフランス領で栽培されるようになり、1795年にはイギリス人によってクローブがマレーシアのペナンに植林されるようになりました。

このように、オランダの目を盗んで密かに持ち出されたスパイスの苗木は、列強国の植民地で栽培されるようになり、19世紀には原産地よりも移植された土地の生産量の方が上回るようになり、今日のように一般庶民も気軽にスパイスが使えるようになりました。

こうして、欲望と略奪にまみれた大航海時代は終焉を迎えるのでした。

 

■Lesson1-6 まとめ■

  • 大航海時代は胡椒、クローブ、ナツメグなどの、産地が限られているスパイスの所有権をめぐり、ヨーロッパ列強の熾烈な争いが続いた。
  • オランダはオランダ東インド会社の設立、バンダ諸島のナツメグを得る為に島民を大虐殺し島を占領した。またナツメグやクローブの栽培を禁止するため林を根こそぎ破壊したり、値崩れを防ぐためにアムステルダムの路上で大量のスパイスが焼却処分などを行った。
  • 1770年頃、フランス人の植物学者、ピエール・ポワーブルがモルッカ諸島から盗み出したクローブの苗の栽培に成功する。これをきっかけにオランダの目を盗んで密かに持ち出されたスパイスの苗木が列強国の植民地で栽培されるようになる。
  • 19世紀には原産地よりも移植された土地の生産量の方が上回るようになり、一般庶民も気軽にスパイスが使えるようになったことで、大航海時代は終焉を迎える事となる