スパイスの歴史や文化を語りたいならば、胡椒の歴史を調べるのが一番です。
人々を翻弄し続けてきた胡椒の歴史
古代ローマ人は胡椒が大好きで、はるかインドまで胡椒を求めに旅をしました。ローマに蓄えられた胡椒を狙い、410年、西ゴート族から襲撃されローマは滅びます。
中世ヨーロッパでは、胡椒は黄金と同価値で、1ポンドの胡椒で農奴を自由に売買できました。
マルコポーロの旅は、東方の胡椒を求めて始まりましたし、ヴェニスの政府は、黄金と同価値の胡椒の売買の不正を防ぐために、仲介人として、胡椒役人を任命しました。
ポルトガルのエンリケ王子が航海に出ようと考えたのも、直接東洋の胡椒を手に入れようとしたことがきっかけでした。彼のもとには、世界中の船の専門家が集まりました。胡椒を求めた事が、航海術を飛躍的に進歩させることになったのです。
王子が亡くなった後も、高性能のポルトガル船はアフリカ喜望峰に到達し、さらに10年後、バスコ・ダ・ガマがインドカリカットに到着します。バスコ・ダ・ガマは、胡椒取引をカリカット王に申し入れますが、すでにアラブ人との取引があった王は断ります。
しかし、その5年後、バスコ・ダ・ガマは、今度は武装して再びインドに向かい、胡椒を強引に手に入れ、その後450年間インドはヨーロッパの支配下となるのです。
ポルトガル衰退後は、オランダとイギリスが海運貿易を支配するようになります。アムステルダムとロンドンに集められた胡椒は金銀と交換され、胡椒貿易の総元締めとして東インド会社が設立されます。
イングランド銀行ロンドン取引所の地下には胡椒の貯蔵庫があり、胡椒の商人たちは毎日銀行に出かけて銀行の資金を使って儲ける事を考えました。世界から集められる胡椒の原価はバラバラだったので、総元締めの東インド会社に投資する事で売値の安定をはかりました。
また、1797年、アメリカ人の船長ジョナサンカーンズは、インドネシアスマトラ島付近に迷い込んだ際に偶然胡椒を発見し、なんと10万ドル以上の価値を持つ胡椒を船に積み込んで帰国します。
これを契機に、アメリカが胡椒ビジネスに参加してゆき、数年後には世界有数の胡椒貿易大国となるのです。